今、自らを拠(由)り処として、混乱する人、自由になる人

令和3年2月4日
今朝は、浜田市倫理法人会に招かれて
お話しさせて頂きました。
この度は
「今、自らを拠(由)り処として、混乱する人、自由になる人」というテーマでお話しさせて頂きました。
今、多くの人達が学校や会社へ普段通り行けず、自宅に待機したり、対外的なコミュニケーションを制限される現状の中にあります。
いわば、形の上では自宅を拠り処とし、自らを拠り処としているようでもあります。
そして、ある面では実際に普段より自分が自由に使える時間が物理的には断然多くなったという方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、時間があればある程、心身共に混乱してしまう方と、自由になっていく方があるのは何故でしょうか?
そうした観点から、私自身がイスラエルから帰国して、日本のお寺で最初に参禅道場で出遇わせて頂いた「白隠禅師坐禅和讚」と、先人方がよく語り伝える「塞翁が馬の故事」を紹介させて頂きながら、お話しさせて頂きました。
私達の人生は
「人間万事塞翁が馬だ」とか
「白隠禅師坐禅和讚」を通して
「私達は本来佛なのです」とお伝えさせて頂いて、「そうか、そうだったのか!」と人生の苦楽の本質を理解し納得して全てを受け入れられたならば、こんなにも素晴らしいことはありません…。 し、し、しかし、( ゜o゜)我々は、こんなにも親切な「故事」や「御和讚」を聞いても、読んでも、それがそのまま自ずから心身に体現されません。いや、厳密には体現できていないと感じてしまっている為に、苦しみ混乱し続けてしまいます。
しかし、本当は私達の心身は、常に真理を体現し、解決し続けています。
それに、気付かせて頂けるのが
坐禅だというのです。
禅門の僧侶だから言うのではありません(笑)
白隠禅師が「称歎するに余りあり」
と仰るのは正に真実なのです。
塞翁が馬の働きを、
外界での人間関係等の縁に
実感として見出だすには
まずその前に、自分自身の心身の
働きや変化の中に
塞翁が馬の働きがあると
感じられる必要があります。
そして、そうした働きが
既に、自己に内在し続けていた!
と自分自身が体験し実感し始めて、
初めて
自らを拠り処とすることが
自由への道である
と、自然に心身が捉えはじめてくれます
頭でいくら理解した気になってみても
心身は心身の体験に正直に反応します
坐禅
そして、立禅もそうした働きを
自分自身で気付かせて頂く
方法として非常に優れています。
そこで、少し立禅と坐禅を
一緒に実践して頂きました
最後に、集まった皆さんとその愛するご家族の
平安と世界の平和をお祈りさせて頂きました。
倫理法人会の皆様、朝から有意義なひと時と
崇高な祈りを共有させて頂き
有難うございました。
世界が平和でありますように…
生きとし生ける一切の存在が平安でありますように…合掌

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