



- 調身 調息 調心
身体を調え 呼吸を調え 心を調える
〇至道無難 唯嫌揀択
しどうぶなん ゆいけんけんじゃく
(意訳) 道に至るということに本来、難儀なことは無い 何故なら既に「道」の中心に自己(命)はあるからだ
ただ、自ら自己に執着し、善悪好嫌の想念を発し続けるが故に 自から作ったそれを「難」と自覚しているだけなのだ
「大安心」への道は既にある 只、真の己の相(在り様)を観るべし 自己を正す力は既に自ずから備われり
先人は、それを「佛性 佛の種」と示された 問題はその佛性を開く「縁」を己自身が求めるか否か、唯、それだけなのだ
「求めない」という力を以て、楽を求める故の苦悩と知れるか?
「後ろへ下がろう」としていた同じ力を以て前へ進めることを知るや否や
「堕落しよう」というその力を以て、「幸福になれる」と気づかされる人ありや否や
嗚呼、摩訶不思議
その「妙力」如何!?
それ何処より来たれり哉
それ誰のものぞ
それ故に先賢曰く
至道無難 唯嫌揀択 と示し給う
修道の道は「未熟」から「完全」への道に非ず
「完全」から「より完全」への道程と識る也
ならばこそ佛道は「三世一貫大安心」の道と決定せり
嗚呼、有難し有難し
この生死は、すなわち佛のおんいのちなり、これをいといすてんとすれば、すなわち佛のおんいのちをうしなわんとするなり。これにとどまりて、生死に著すれば、これも佛のいのちをうしなうなり。佛のありさまをとどむるなり。いとうことなく、したうことなき、このときはじめて、佛のこころにいる。ただし心をもてはかることなかれ、ことばをもていふことなかれ。ただわが身をも心をも、はなちわすれて、佛のいえになげいれて、佛のかたよりおこなわれて、これにしたがいもてゆくとき、ちからをもいれず、心をもついやさずして、生死をはなれ佛となる。
正法眼蔵 生死之巻 道元禅師