出家得度す 師資共に初発心也

広島県庄原市にて長年教員をなさっておられたとの事。
数年前から龍雲寺へ参禅され、ご縁がありました。
もともと、庄原市の山寺で生まれたということもあり
いつしか
「生まれ育ったお寺と、
お寺でご縁を頂いてお世話になってきた皆様に、
恩返しをさせて頂きたい」
という思いをもたれるようになられました。
しかし、そうは言っても現実には僧籍もなく、
お寺のことは何もわからない
そんな思いを暫く抱えながら、
あちこちのお寺を巡り参禅修行を続けていました
そんな時、兵庫県のお寺のある住職から
「中国地方なら、島根県浜田市に、良い禅道場がありますよ、
是非、参禅されてみてはどうですか?」
と紹介され、龍雲寺へ参禅に来られたのが最初のご縁でした
六十五歳で、新しい世界へ一から挑戦することは
実際には、中々厳しい事です
とはいえ、「歳だから、出来なくても仕方がない…」
等という中途半端な覚悟で入門するならば、
自分のみならず、
この先に
ご縁を結ぶであろう
多くの他者をも、
かえって苦しめてしまいます
さて、
「覚悟如何」
「お寺に恩返し」
聞こえは良いけれど…、
もし、迷った者が、人を先導し扇動したなら
お寺に縁を持つ多くの人達が、
みんな迷い苦しむかもしれません

何を求め

何を覚悟し

何を信じ

何を捨てて

どう歩むのか

当人のみならず

受け入れる側の

覚悟も問われる

道元禅師は
「もしあなたが真に佛を信じ、それが人生のうちのたった僅かに一日だけであったとしても、その人が、本当に正しく真理を理解し佛道を歩み、勤行出来たならば、その人の一生の人生分の価値がある、いやそれどころか、もう一度生まれ変わって更に百年生きたよりも、もっと深い意義と普遍的価値がある、それ程に佛道を信じ、歩み行ずるということは尊いのだ」
と、説かれます。

令和元年十一月三日

「義承」として佛門に入られることになりました

光陰矢の如し

今は只、

切々と

己が感じ得る

神仏に

素直に頭を垂れて

ご縁に感謝し

佛を信じ佛道を歩むべし

師資共に

初心忘るべからず

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